きのうのこと

すてきなあの頃へ

バリ島で死にたいね

自殺した人がのちに英雄視されるのってなんでだろ。

自ら命を絶つことに私はなんにも感じないけどね、死にたいなら死ねよ、ただし迷惑をかけずにな、のスタンスで、まあ身近な人が自殺したときはさすがに参ったけどさ。

なんか、人の生き死にってすっごい重いから、たまに鬱陶しいときがあるよね。

遺書とかも「ハーイ私今から死んできます!バイバーイ!」って感じだったらいいのにな〜とか、それを見て周りも「そっかー!いってらー!」な感じで、そんな感じでいいと思うんだけどなあ。

命って重いなあ。やだなあ。

いまこのタイミングで死んだら絶対後悔しないって時に死んどきたいな。

 

ただひたすらに、意味のない日記ばかりを書いて、それが残って、全世界に公開されて、それって、たのしいの?みたいなことをきかれたことがあって、別に日記を書くのにたのしいとかなくない?と思った。

今のじぶんの行動とか思考とかを記録したいかしたくないかじゃん、人それぞれだからそれは。

日記が公開されることに関してはべつになんとも思わないっすね。だってこれは上辺の日記だから。

本当に残しておきたい気持ちの表面だけを書けばみんなには当たり障りなくみえるけど、あとで見返した時に、自分はその時の本当を感じることができるから。

人の思考って、そんな何パターンもなくて、自分が最初に感じたり思ったりしたことを繰り返してるだけだと思うの。

だから、複雑な記憶や経験さえも回を重ねればああまたこれか、ってなっちゃうんだよ。

生きることに楽しさを見出すのはたぶん命を持て余してるからで、なにもしていない状態がつまらないからで、それって、すげー無駄じゃね?とか、思っちゃうの。

人として生まれて、教育されて社会に出て、世間の潤滑油になって、いろんな仕組みとか柵に囚われて生きるって、無駄じゃね?

人生って、半分くらい意味が無いから、まともに生きるの馬鹿らしくね?

つねにそういうことを考えて生きているから、本当に生死とかがどうでもいいんだな、自分のならまだしも他人のとかマージでどーでもいーわ。

 

て、いうのをただただ無心で打ってて気づく、たぶんこーゆー時間がいちばん無駄であり同時にいちばん楽しいんだよな、たぶん世界中探しても1から10まで理解してくれる人なんかいないわけで、だったらもう自分以外の人間と話す意味とかないわけで、まあそうやって生きれたらどんだけ楽かって話なんだけど、ちょーっとでも自分自身と対話するの、大事だな、私のいちばんは私だもんな。

 

なんだろ、今はソシャゲしてるときがいちばん楽しいかな。

データは裏切らない。しょせんプログラム。

私が見てるあなたは仮想です、そしてあなたに見えている私も仮想です、決して交わらない平行線上で笑って泣いて恋をするんです、あなたに血が通ってなくてよかったよ、好きな人がデータなのってクソ面白いな、素敵、泣きそう。